わくわくニュースフラッシュ

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    カテゴリ: 訃報



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    1 名無しさん@涙目です。(やわらか銀行) [US] :2025/01/28(火) 22:47:56.31 ID:utAfS7Cp0 BE:478973293-2BP(1501)
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    森永卓郎さん 死去 67歳 原発不明がんのため きょう自宅で
    https://news.yahoo.co.jp/articles/f9c40a63f050ce6ff5c5291f718478f29d7c0544

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    1 冬月記者 ★ :2025/01/19(日) 22:20:13.62 ID:tCPgyGu79
    https://news.yahoo.co.jp/articles/beddeefee17c35e32ca4717b0d78d12fd686ee62


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    歌手・織姫さんが配信中に突然死 兵庫県知事選に昨年出馬した福本繁幸氏「大事なパートナーを失った」

     昨年の都知事選や兵庫県知事選に立候補したレコード会社社長の福本繁幸氏(58)が19日、「織姫&彦星」名義で、歌手として、コンビを組む織姫(本名・坂本三千代)さんが死去したことを明かした。61歳だった。

     織姫さんは18日夜、「SHOWROOM」でライブ配信していたところ、突然イビキをかき始めた。

     異変に気付いたリスナーが事務所に連絡を入れ、近くにいた福本氏がすぐさま駆け付け、救急搬送されたが、約1時間後に死亡が確認された。くも膜下出血だった。

     「織姫&彦星」は織姫さんの歌のうまさに惚れ込んだ福本氏が声を掛け、10年前に結成。栃木県を地盤に活動し、2018年にリリースした「幸福の瞬間」は足利市のご当地ソングにもなり、全国で活動していた。

     一方、大荒れとなった昨年の都知事選や兵庫県知事選に福本氏が立候補した際には、織姫さんがマネジャー役となって、献身的に支えていた。

     ライブ配信直前に織姫さんは自身のX(旧ツイッター)に「みなさん こんばんは いいね リポスト 織姫ROOMへ ありがとうございます 20時くらいから配信してます」といつも通りにポストしていた。この数日も体調不良や頭痛を訴えるなどの前兆もなかったという。

     「年初に佐野市で一緒にうたいました。多くの観客の方に来ていただいて盛り上がった。今年の7月7日は結成10周年になるので、新曲の打ち合わせもしていました。とても一生懸命で、誠実で、彼女がいたから10年間活動できた。突然いなくなってしまい今でも足が震えている」(福本氏)

     22日には政治家輩出の政治塾の立ち上げで記者会見を予定しており、織姫さんも手伝うために参加予定だった。

     福本氏は「大事なパートナーを失った。都知事選も兵庫県知事選も二人三脚で本当に力を合わせてやってきた。彼女の遺志を継ぐためにも、会見は予定通り行いたい」と話し、「織姫&彦星」としての歌手活動も継続する意向を明かした。

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    1 香味焙煎 ★ :2024/12/10(火) 02:46:14.23 ID:XftgnDcp9
     フジテレビ朝の情報番組「情報プレゼンター とくダネ!」などでキャスターを務めた小倉智昭(おぐら・ともあき)さんが9日、死去した。77歳。秋田市出身。死因などは明らかになっていない。歯切れのいい司会ぶりで活躍。2016年に膀胱(ぼうこう)がんを公表し、肺にも転移するなど長く闘病生活を続けてきたが、ついに力尽きた。

     小倉さんは11月23日に放送されたフジテレビ「小倉ベース」に出演。都内の自宅でEXILEのHIROらとトークを展開。元気な姿を見せていた。その後、不調を訴え、千葉県柏市内の病院に入院。この日、体調が急変し息を引き取ったという。

     晩年はがん闘病が続いた。16年5月に膀胱がんを公表。同月に内視鏡手術でがんを切除したが、全摘はしなかった。病状は進み、18年夏、生放送直前に膀胱から大量出血。同年秋に全摘手術を受けた。その後、21年秋に肺転移が見つかり、23年には腎盂(じんう)がんと診断され、左の腎臓の全摘手術を受けた。

     闘病経験を伝えることも続けた。膀胱の全摘手術後、当時一般に浸透していなかった人工膀胱の知識を実体験とともに発信。尿漏れパッドが欠かせなくなり、使い終わったパッドの取り扱いに困ったため「男性トイレにもサニタリーボックス(汚物入れ)の設置を」と訴え、大きな反響があった。

     幼少時に吃音(きつおん)に悩んだが悔しさをバネに努力し、1970年に東京12チャンネル(現テレビ東京)に入社。競馬実況などで活躍する姿が故大橋巨泉さんの目に留まり、スカウトされる形で76年にフリー転身。TBS「世界まるごとHOWマッチ」などに出演し「1秒間に18文字の原稿を読める男」として脚光を浴びた。

     99年からフジ「とくダネ!」の総合司会を担当。小倉さんは司会を引き受けるに当たって「冒頭にフリートークをやらせてほしい」と希望。スポーツや音楽、時事問題などについて持論を述べる時間が設けられた。朝の情報番組はニュースなどのVTRでスタートするのが常識だったが、オープニングトークは徐々に定着。時に辛辣(しんらつ)な意見を発し抗議を受けることもあったが“物言うキャスター”として活躍した。当初、横並びの世帯視聴率でライバル局の後塵(こうじん)を拝していた番組は2001年2月に初の平均視聴率月間1位を獲得。16年7月28日の放送で4452回目の出演を果たし「同一司会者による全国ネットのニュース情報番組」の放送回数最多記録を更新し、21年3月まで続いた。

     番組終了後、小倉さんは闘病生活を送りながら、ラジオや情報番組などに出演。時事問題やメディアの現状について意見を述べていた。「僕の世代に向けた番組がほとんどない。同世代が楽しめるような番組をやりたい」と話していたが、その夢はかなわなかった。

    スポニチ
    12/10(火) 2:40配信
    https://news.yahoo.co.jp/articles/7f24a9b9bcdbbdcf9d71d511e085937d826ed431

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